2001年12月25日

帰国-成田は寒かった

0時にチェック・アウトして、タクシーで Cairns International Airport へ。
早めにチェック・インと出国手続きを済ませ、留守番と愛犬「寧夢」の世話で一番世話になった長女に、免税店で約束のブルガリの香水を買う。
残ったキャッシュで、"Aussie SLANG" と "Aussie GAGS" という本を買った。
面白いものがあったら、いずれ皆さんにご紹介することにしよう。
Smoking Balcony でタバコを「まとめ吸い」してから、12時半にJL768便に搭乗。機上の人となった。
窓際に席に座った家内は、飛び立ってしばらく窓を眺めている。1ヶ月を過ごしたオーストラリアともこれで本当にさよならだ。
ひょっとしたら、目がウルウルと来ていたのではないだろうか。

成田へはほぼ定刻19時に到着。建物の中は暖かいが、タバコを吸いに外に出ると「ぶるっ」とくる。荷物を開けて、向こうで買ったトレーナーを着込む。
表示を見ると、今の気温は9度。ケアンズを発った時の気温は30度を軽く超えていたのだから、気温差は20度以上だ。当分、日本の冬の気温に身体を合わせるのに苦労するだろう。
大宮行きのバスを待つ間、同じ便で着いた Aussie のおじさんが、例のサンタの帽子をかぶっていた。
"Merry Christmas!" と言葉を交わす。

これで、長い長いこの旅日記も終わりだ。

2001年12月24日

帰国まであと1日-クリスマス・イブ

レセプションにはクリスマスのデコレーションが飾られ、大きなサンタの靴がぶら下がっている。
女の子達も皆赤い帽子をかぶっている。ティーシャツとショート・パンツにサンタの帽子なのだから、何とも変な感じだが可愛い。
あちこちの壁には、「25日夜、プール・サイドでクリスマス・パーティー開催します。会費は5ドル。」というビラが貼ってある。残念だが明日の夜は日本だ。
レセプションのお兄ちゃん(彼はイギリスから来た大学生だった。)達と、オーストラリアやイギリスと日本の Christmas Eve の過ごし方の違いについて話す。
こちらでは、イブは自宅でテレビを見たり本を読んだりして静かに過ごす。正に "Silent Night"。
25日の Chritmas Day には、プレゼントを開けシャンペンを飲んだりして、結構にぎやかに騒ぐという。
日本にないのは26日の Boxing Day。プレゼントの入っていた箱 (Box) を片付ける日なのだそうだ。
そんなわけで今夜は何もない。私達夫婦は、中庭のテーブルで残りのビールを飲み、日本人だけのクリスマス・イブとオーストラリア最後の夜に乾杯した。

2001年12月23日

帰国まであと2日-3週間ぶりのケアンズ

朝6時過ぎタウンズビルに着いた。ここで車両が替わり、7時15分に出発。エアコンの効きも少しはましになる。
乗客も少し減り、車内はゆったりとしてきた。あと数時間の辛抱だ。


Mc'Cafferty's のバス。
みんなに頼まれてしまう運転手は、「またかい?」という顔で
苦笑いしながらシャッターを押してくれた。

バスは順調に走り、定刻前にケアンズのトランジット・センターに到着。タクシーで常宿 Inn The Tropics に入ったのは午後1時だった。
今回はシャワー付きの部屋を頼んだので一泊55ドルとちょっと高め。案内された部屋は、1階の一番奥の、去年最初に泊まった部屋だった。
ところが、ブロックの壁が外から西陽を十分過ぎるほどに浴びて、暑いこと暑いこと。エアコンのタイマーに1ドル硬貨を放り込んで、涼しくなるまで夕食を買いに外出する。
最後になるであろう XXXX GOLD の6本パックを買って宿に帰ると、部屋の壁はまだあつい!
ようやく冷えてきたのは、夜中になってからだった。

2001年12月22日

ブリスベン22日目 ケアンズへ出発

早朝のNHKのテレビで、野茂がドジャースに復帰と伝えていた。
そういえば、星野が阪神の監督へ、田淵がヘッド・コーチにというニュースも聞いた。
7時過ぎにチェック・アウトして、バックパックを背負い、手にも重い荷物を下げてトランジット・センターへ歩く。下り坂でよかった。
8時30分、ケアンズ行きMC145に乗り込む。いよいよブリスベンにさよならだ。
バスは Mc'Cafferty's。外観はきれいだが、かなりの中古車両。椅子のクッションは堅く、おまけにエアコンのききが悪くて、途中でとうとう屋根の通気口(非常口を兼ねている)を開けて走ることになってしまった。
運転手がいろいろといじっていたが、ビデオも映らない。先が思いやられる。

2001年12月21日

ブリスベン21日目 ブリスベン最後の一日

3週間滞在したブリスベンもとうとう最後の日となってしまった。
朝から洗濯と Packing。昼過ぎにはこれもほぼ片付いた。
JAL Cairns に Reconform の電話を入れる。JALはリコンファームは必要ないことになってはいるが、念のためである。
"Does anyone speak Japanese?"
"Yes. Wait a moment please."
助かった。日本語で話せた。
さらに、予約していたケアンズの宿に到着予定時刻を連絡する。
午後近所を散歩がてら Mall まで食事に出かける。
Our Favourite City, Brisbane ともお別れだ。やっぱり、もう一度来ようという気になる。今度来るときは、娘達と一緒に家族旅行だ。

やっぱり、Brisbane City にこのメダルを進呈しよう!

2001年12月20日

ブリスベン20日目 380gのサーロイン・ステーキ

朝からブリスベン最後の Souvenir Shopping に出かける。
GPO の Austraian Post で、前から目をつけていたものをいろいろと買いこむ。
帰りの荷物は出きるだけ減らしたいので、神戸の姉の分だけ Air Mail で発送。ここには各種サイズの梱包用資材も売っていて便利だ。
ダンボール箱一杯に詰めこんだ郵送料は、$34.5にもなってしまった。
さらに Mall でいくつかの買物をして、重い荷物をぶら下げて宿への坂道を登る。今日が一番きつかった。
午後は荷物を整理して Packing の準備で時間を費やす。余分な物は何も持たない、何も買わない主義で来たはずなのに、結構荷物が増えてしまった。
夕食は下のレストランで、これも最後の Ausie beef となるかも知れない Sirloin Steak。約380gとデカイ!これで1枚が14.5ドル。
カウンターに席を移して Scotch and Water を2杯ずつ。これが高くて1杯7ドル。2杯でステーキと同じ値段になってしまった。

2001年12月19日

ブリスベン19日目 Lone Pine Koala Sanctuary

カンガルーも暑そう
Myers Center の地下から430番のバスで2度目の Lone Pine へ。ここも2ゾーンだからチケットは当然 Off Peak Saver。
1年半ぶりにカンガルーやコアラたちに会う。夏で暑いせいか、カンガルー達は皆木陰で休んでいる。去年は餌を見せると寄ってきて手を擦り合わせるようにしておねだりしていたのだが、今回は、仕方なく「食ってやるか」という感じである。中には完全にそっぽを向く奴もいる。
壁を爪でがりがりやっていたウォンバットも穴の中で仰向けになって寝ていて、出てこようともしない。
世界最高齢のコアラだった Sara も亡くなったのか、Koala Retirement Home の表示が書きかえられている。今は1981年生まれの Dowell というオスが最高齢だそうだ。


Lone Pine Koala Sanctuary の子どものカンガルー。
この子はちゃんと餌を食べてくれた。

ワライカワセミ
ワライカワセミ Kookaburra がいた。
野生ではないが、実物を見たのは初めてだ。
それに、ちゃんと鳴いてくれたのだ。あのけたたましい声で、2度も3度も。
昨年もいたのかもしれないが、気がつかなかった。
昨年の旅のホームページの「こぼれ話」でも紹介したが、若い時 Radio Australia の短波放送で聞いて以来の憧れの君。小生にとっては、コアラやカンガルー以上にオーストラリア的な動物であった。
英語では Kingfisher と呼ばれるが、魚を採ることはなく、小動物や大きな昆虫、トカゲなどを食べる。
しかし、何と言ってもこの鳥の特徴はその奇妙な鳴き声にある。他の鳥とテリトリーを争う時などには、人間の笑い声にそっくりなけたたましい声で泣き叫ぶ。これが『ワライカワセミ』 Laughing Kookaburra と呼ばれる由縁なのである。

向かいのアパート
2時半頃 City 帰着。GPO の Austrarian Post で娘達や自分達への土産物を仕入れ、Food Court で 夕飯用の食べ物を Take Away して、例の坂道をふうふう言いながら宿に戻る。
シャワーで汗を流し、冷えたビールでのどを潤す。
去年もこんなアパートに住めたらいいな、と思っていた向かいのアパートの2階の部屋に、日本人らしい若い人が荷物を運び込んでいる。羨ましい。

Southern Cross
今夜は晴天。この季節、南十字星は出るのが遅く、今回は見るのを半ば諦めていたのだが、やはり諦めきれずにバルコニーに出て南東の空を探す。方角からすれば、向かいのアパートの屋根の切れた辺りに登ってくる筈だ。
南側は City の方角だから、街の照明で空はかなり明るい。やはりだめかなと思って部屋に入ったが何故か寝つかれず、タバコを吸いにまたバルコニーに出たのが夜の11時ごろ。
「おっ!」という感じで感動しかけたが、よくよく星座表と見比べるとこれが例の「にせ十字」だった。
しかし、にせ十字が見えたということは、もう少し待てばその下の方に本当の「南十字」が現れる筈と根気よく粘る。
そして待つことしばし、これぞ「南十字星」というのが出てきた。それでも今一つ確信が持てない。2時を過ぎて向かいの屋根すれすれにケンタウルス座の「α」と「β」が現れた。もう間違いない。
デジカメで夜空を撮るのは初めてだが、バルコニーの手摺にカメラを固定してシャッターを押しまくった。液晶画面で再生してみると、空が明るいので「α」「β」のほかは星が3つしか写っていない。
あとはパソコンでの修正効果に期待しよう。


SOHO Motel のバルコニーから
捉えた南十字星。下二つは、α、β。
(この画像は、パソコンで修正したもの)

2001年12月18日

ブリスベン18日目 土産物を買う

スーパーにも土産品が
ブリスベンでの滞在も残り少なくなってきた。午後、土産物の買い出しに出かける。
とは言っても、もともと買物ツアーに来たのではないから、「行って来た」という「しるし」程度の小物があればいい。数は結構たくさん要る。
そこで見つけたのが、スーパー Coles の雑貨売り場。小さなコアラの「詰め合わせ」、ロード・サインのコースター、オーストラリアの国旗のついた爪楊枝など、Mall の土産品屋の半値くらいで売っている。
大量に籠に入れてレジに持っていくと、一個一個バーコード・リーダーを通すものだから、長い長いレシートになってしまった。帰国してから土産と称して小物を受け取っていただいた方々、そんなわけで大変な安物だったのです。
ごめんなさい。
Hotmail をのぞきに NIPPON-YA に寄り、帰ろうとすると King George Square のステージで Christmas Carols があるという。しばらく座って待っていたが、マイク・テストを繰り返すだけでなかなか始まらない。ステージ横の表示に気づいて読んでみると、まだ1時間も後だ。
おなかも空いたので諦めて帰ってしまった。


King George Square のクリスマス・ツリー

坂道
宿のある Wickham Terrace と City Hall 辺りを往復するには Albert Street を通る。ところが、Wickham Terrace は Spring Hill と呼ばれるかなりの高台にあるから、帰りは Uniting Church の側の信号を渡って、だらだらとした坂道をふうふう言いながら登って行くことになる。
両側に緑の木々があっていい景色なのだが、それを楽しむ余裕などない。
右側の Wickham Park への急な階段を登って公園の中を突っ切れば少しは近くはなるが、坂であることに変わりはない。重い荷物を持っている時など、前傾姿勢で何度も休憩しながら歩く。
同じように「ふーっ!」と息をついている人に会うと、思わず目を合わせて "Are you all right?" と笑い合うこともしばしばだ。


Alber St. の坂道。右側が Wickham Park。
この坂を登りきったところに SOHO Motel がある。

2001年12月17日

ブリスベン17日目 Mount-Coot-thaへ

洗濯室が混んでいる
早朝から洗濯をしようとレセプションに Laundy Room の鍵を借りに行くと、混んでいるので空いたら電話で連絡するとのこと。あいにくここの宿は、洗濯機、乾燥機とも1台ずつしかない。
雨の日が続いたので、皆さん思いは同じなのだ。
順番を待って洗濯を済ませる。洗濯1.2ドル、乾燥3ドル。Dryer はちょっと高めだが、大きなマシンなので全コース1時間かからずに完了。

Mount Coot-tha からの眺め
洗濯の順番待ちで昼近くになってしまったが、City Hall の前から471番のバスでマウント・クーサ Mount Coot-tha へ向かう。
City からは 2 zone で片道2.6ドルだが、帰り3時半までのバスには乗れそうだから、ここも割引チケット Off Peak Saver 4.8ドルを買う。

Mount Coot-tha から City を臨む

Mount Coot-tha は、市内から西に30分ほど行った高台。Mount というほどの山ではないが、City の建物、蛇行する Brisbane River はおろか、天気がよければ Moreton Bay や太平洋まで見渡すことができる、ブリスベン随一のビュー・ポイントだ。
天気は比較的よかったのだが、残念ながら東の地平線は煙っていて、そこまでの景観は望めなかった。
頂上には展望台や The Kuta Cafe 、 The Summit Restaurant などがあり、食事をしたり、コーヒーを飲んだりしながら眺望を楽しむことができる。
私達は来なかったが、夜景を見るなら City Nights というバスに乗ればいい。
近くにはマウント・クーサ植物園 Mt. Coot-tha Botanical Gardens もあって、園内の散歩を楽しむこともできる。
久しぶりに日本人観光客の団体さんに出会い、新婚カップルにシャッターを押してもらった。
阪急交通社のツアーで、ここでの滞在時間は15分くらい。ツアコンさんに追いたてられ、記念撮影して、トイレに行って、ハイおしまい、という感じである。パック旅行とはこんなものだ。
私達はたっぷり2時間遊んで下山した。
Kuta Cafe の Kiosk で便利な小物を見つけた。Stubby 用の栓抜きだ。Stubby の王冠はツイスト・キャップといわれるネジ式(通常のクリンプ・タイプと呼ばれるものとの共用で、普通の栓抜きでも開けられる。)になっているが、その王冠を捻って開けるもの。

ビールを買いに
栓抜きが手に入ったからというわけではないが、やはりビールは安いほうがいいと、先日見つけておいた近くの Bottle Shop で XXXX GOLD を1カートン仕入れ担いで帰る。
これは便利だ。今までは手で捻っていて、王冠のギザギザが痛かったのだが、これで簡単に開けることができる。王冠も変形せずにきれいに残る。
おかげで、3本ずつ空けてしまった。


Mount Coot-tha で買った栓抜き


こんなふうに当てて左に捻ると簡単に開く

2001年12月16日

ブリスベン16日目 休養日

昨夜来の大雨が残り、今日は一日休養。
外に出るのも億劫なので、レセプションで Stubby を4本買う。今回はいつもの XXXX GOLD ではなく VB Victoria Bitter にした。何故って、それしか置いてなかったからに過ぎない。
この VB は、名前のとおり Victoria 州産のビールで、Fosters と共にオーストラリアを代表する銘柄。
日頃あまりビールを飲まない小生にとっては、XXXX GOLD のようなライト・ビールの方が口に合っている。
クイーンズランドに来たら、やはりクイーンズランド産を飲まなければ……。
それでこそ、Queenslander なのだ。


SOHO Motel の全景。
我々の泊まった部屋は反対側にある。

大盛りシーフード
夕食は地下のレストランで。
入り口に「シーフード盛り合わせ山盛り、$20!」と書いてあったので、これを1人前とカルボナーラのパスタ1人前をオーダー。
大きな皿に、ムール貝、生牡蠣、魚とイカのフリッター、イカのフライ、魚の蒸したもの、野菜サラダ、チップスなどが、正に大盛り。赤い色をした何かのピクルスが添えてある。訊いてみると Beet Root というものだそうだ。カルボナーラもなかなかいける。
ビールを2杯おかわりして、締めて51ドルだった。

2001年12月15日

ブリスベン15日目 新しい宿 SOHO へ

朝10時チェックアウト。2週間お世話になった Marguerite と写真を撮る。4日目に割ってしまったガラスの鍋の弁償は請求されなかった。


2週間お世話になった Mrs. Marguerite と。

タクシーを呼んでもらって、Wickham Terrace の SOHO Motel へ。レセプションの様子は去年のままだ。
チェックインした部屋はまたまたいみじくも昨年泊まったのと同じ303号室のツイン・ルーム。ラッキー!
部屋に案内してくれたレセプションのお兄ちゃんが、来年はドアに "JONAI'S ROOM" という札をかけておくよと冗談を言っていた。
しかし、ここの部屋はやはり狭い。キッチンもない。今までと生活パターンを少し変えなければならないだろう。

午後、付近を散歩しながら、買物ができる場所、コーヒー・ショップ、レストランなどを確認する。近くに Bottle Shop もちゃんと見つけた。
目の前の Roma Street Parklands に再び入る。何度来ても、いい公園だ。
新婚さんの記念撮影風景などを見ながら園内をぶらぶら。BBQを楽しんでいる人たちもいる。
夕食は「引越しそば」とソーメン。
夜はかなり激しい雨になった。

次女に赤ちゃん
宿が変わった旨を報告するため自宅に電話したら、なんと次女に赤ちゃんができたとのこと。
来年8月には、我々は「おじいちゃん」と「おばあちゃん」になるんだそうだ。
嬉しいやら、面映ゆいやら……。

2001年12月14日

ブリスベン14日目 Paramout Motel 最後の一日

2週間過ごした Paramount Motel も今日が最後となった。
二人ともかなづちなので一度も入ってなかったプールで日光浴。
このプールは、我々の泊まった2階の14号室のすぐ下にあり、プール・サイドではBBQもできる。
チェアの側に灰皿を置いてタバコを吸いながら、のんびりと過ごす。ティーシャツを脱いでチェアに寝ていたら真っ赤に日焼けしてしまった。
4時頃から Packing を始める。結構土産物が増えている。
明日からの宿はキッチンが付いていないので、残った食材をすべて調理する。もちろん「引越しそば」も。
夜7時半から、Channel 7 でブリスベン市主催の "Christmas Carols' を見る。

2001年12月13日

ブリスベン13日目 おっと忘れてた……と出かけるには

フェリーに乗る
昨日 City へ出たのに、Amex で両替するのを忘れてしまった。
そんなわけで今日もちょっとお出かけ。ちょっと出かけるには、バスに乗ったりフェリーに乗ったり、ここの宿は少し不便だ。
今日は Thornton st. まで歩き、フェリーで対岸の Eagle street Pier へ渡る。Paramount Motel での滞在も後1日となり、ここを出ればフェリーに乗る機会もなくなるだろうと、多少無理してフェリー乗り場まで歩いてみた。
Eagle street Pier、その北隣の Riverside Center は、City の中心からは少し離れているが、レストランやビュッフェ、カフェ、しゃれたブティックなどがあり、対岸の Kangaroo Point の景色を眺め、川風を肌に感じながら時間を過ごすことができる Water Front だ。
Elizabeth st. の Amex へ寄り、Queen Street Mall へ行くと、Stage で 'Christmas Cheers' をやっていた。子ども達の声がかわいい。
Riverside Center のテラスでコーヒーを飲み、再びフェリーに乗って宿へ帰る。


Queen Street Mall のステージ。
かわいい子ども達がクリスマス・ソングを歌っている。

豪華に外食
今日もまた歩き疲れた。
夕食は向かいの Pineapple Hotel の Grill and Bar でということになった。
400gの Sirloin と 200g の Eye Fillet。それぞれにチップスと野菜サラダ添え。ビール2杯ずつで締めて49ドル95セント。
テラスの方に席を移し、Scotch and Water 2杯ずつで15ドル20セント。
超贅沢だ!

2001年12月12日

ブリスベン12日目 今日も歩いた

Botanic Garden
今日も天気がいい。昨日歩いた Maritime Museum までが思ったより近かったので、今日も歩いて対岸の Botanic Garden まで行ってみようということになった。
今度は Maritime Museum の先を右へ曲がって、Brisbane River にかかる歩行者と自転車の専用橋 Goodwill Bridge を渡る。渡り終えたところが Botanic Garden だ。
広大な芝生の中を横切り、River Stage や City Garden Cafe を横目で見ながら、QUT 'Queensland University of Technology' の構内へ。生協の売店をのぞくと安いティーシャツを売っていたので、家内用と長女の旦那用に2枚を購入。胸にプリントされた年号は "2000"、安いわけだ。
学食に入ってサンドイッチを買い早めの昼食。
昼休みに入った Botanic Garden は、相変わらずジョギングや散歩、読書で休憩時間を過ごすOLやサラリーマンがいる。


Botanic Garden の Banyan Fig という木。
枝から降りてきたひげのような根が、土に入って太くなる。

早々とバスの予約
Albert st. George st. とぶらぶら歩いてトランジット・センターまで行き、22日のケアンズ行きのバスを booking。
間もなく School Holiday のシーズンに入るので、早めにバスの座席を押さえておいた方がいいと思ったのだ。
Queen Street Mall に戻って土産品屋をのぞいた後、バスで宿へ帰る。
今日の夕食はお好み焼き。鶏肉とベーコン入りを2枚焼き、ソースがなかったので醤油をかける。なかなかのものだ。

2001年12月11日

ブリスベン11日目 South Bank Parklands

今日はからりと晴れた。朝から South Bank Parklands に出かける。
Cliff を降り、Brisbane River 沿いの遊歩道を南へ歩く。Express Way の走る Captain Cook Bridge の下をくぐってしばらく行くと、Maritime Museum だ。
ここは前回もあまり興味のある展示物もなさそうだったので素通りしたところ。
そのすぐ先に、Parklands のゲートがある。
1988年の万博跡地に造られたこの公園は、人工ビーチがあり無料で入場することができ、一日中のんびりと水と戯れることができる。カフェやレストランもあってブリスベン川の景色を眺めながら食事を楽しむこともできる。
低い視線で見ると、ビーチの水とブリスベン川とが一体になったな感じで、まるで City のスカイラインが浜辺にあるかのように見える。
例によって College of Arts の CO-OP でコーヒーを飲み、カフェでビールを飲んだりしてゆっくりと時間を過ごした。


South Bank Parklands の人工ビーチ。
Brisbane River を挟んで、向こうには City の Skyline が見える。


座ったベンチの目の前にはこんな姿が……。
このあと、彼女はおもむろにうつ伏せになってブラの紐をはずした。

2001年12月10日

ブリスベン10日目 雨の日は一日テレビ

Wheel of Fortune
朝から雨空だったので出かけるのは止めにして、一日中テレビを見たりカードをしたり。
ニュースやドラマは半分も理解できないが、クイズ番組は結構面白い。
なんと、あの「布団圧縮袋」のCMがここにもあった。「$140が今ならなんと$87!」
Channel 7 の "Wheel of Fortune" というクイズ番組は、隠されたパネルの文字を開きながら、全体が意味する Phrase や人名、地名などを当てるもの。
地名などは小生でも当てることができる。

放送コード
こちらの放送コードはかなり厳しいらしい。
"Atack of Homewrecker" という超低俗番組。浮気中の旦那とその妻と愛人、ボーイ・フレンドが他の女と寝ているところを見つけた恋人などが登場して、先ず紹介と同時に女同士のののしり合いと殴り合いが始まる。まったくのやらせだと思うが、必ず途中でオッパイがポロリ。即座にモザイクがかかる。
どんなことを喋っているか大体見当はつくが、ところどころ音声まで消されている。
日本ならオッパイ片方どころか両方でも平気なのに……ちょっと残念!

99.99 Ninetynine Ninetynine
時はクリスマス商戦の真っ只中。コマーシャルはクリスマス・セールの氾濫である。
地元テレビには店舗のコマーシャルが多いから、特売中の商品の価格が連呼される。
$9.99 'nine ninetynine', $19.99 'nineteen ninetynine', $99.99 'ninetynine ninetynine' ……こんな調子。日本なら、98円、198円、39800円というところだ。
車だって、$19,990 で MAZDA のセダンが出ている。ガソリン1000km分サービスというのもある。
30%OFF,40%OFF も当たり前。
1ヶ月間、テレビをつければ必ずこの "Ninetynine Ninetynine" が聞こえてくるのだから、どうしても耳についてしまった。
勿論街に出ても、Queen Street Mall の各店舗には '99' や 'OFF' の文字が溢れている。
ところが、この99セントというのが曲者。これだけ一つ買った場合には、99セントは切り上げられて1ドルになってしまう。
何故なら、オーストラリアの最小通貨は5セントなので、5セント単位で「二捨三入」されてしまうのだ。

次の宿を予約
ブリスベンに来てから10日が経ったので、今後の行動予定を話し合った。
「このままのんびりこの街で過ごしたい」という家内の意見を尊重して、Fraser Island 行きは止めにした。
ただし残りの1週間は、前回泊まった SOHO Motel に宿を変更しようということになり、早速電話で予約を入れる。Weekly Rate の適用はなく1泊76ドルとなるが、便利さを買い、よしとする。

2001年12月9日

自動販売機はない

オーストラリアでは、タバコは News Agency (新聞や雑誌を売っているスタンドのようなもの)やコンビニで売られていて、自動販売機はない。
しかし、自由化が進んでいるせいか、日本のようにタバコの値段はどこで買っても同じというわけにはいかない。店によってほんのちょっとだが販売価格が違うのである。
Peter Jackson Super Mild の30本入りの場合、$10から$10.25までの開きがあった。わずか25セントだがたまたま安い店に当たると嬉しくなる。
Adelaide Street の City Hall の斜め前にあるスタンドがおすすめだ。

ブリスベン9日目 タバコは外で

Peter Jackson Super Mild
久しぶりに City まで出かけ、City Hall 前の NIPPON-YA のインターネット・カフェに寄って hotmail にアクセス。POP UP Mail には、相変わらずワーム・メールが一杯のようで容量オーバーで全部が読み出せない。hotmail 数通と BBS へのメッセージ書きこみだけで済ます。30分2ドルでトータル4ドル。
先日映画の撮影とやらでいやな思いをした ANZAC Square へ行ってみると、今日は日曜日のせいか人もまばらでゆっくりできた。
ベンチで座っているとタバコをくれという若者がやってきた。 "This is my last one." と言って断ると、文句をたらたら言いながら去っていった。前回の旅でも感じたが、この国は他人のタバコをねだる人が結構多い。今日もこれで二人目だ。
日本から持ってきた Merit Lights も今日でとうとう終わってしまった。
帰りに Subway で Peter Jackson Super Mild の25本入り2箱を買う。$17.20。高い!
このタバコは、昨年の旅行でもずっと吸っていた Philip Morris 製のもの。タール8mg、ニコチン0.8mgと、Merit (これも Philip Morris 製)に比べて2倍以上の含有量だが、何故か口に合っている。

ドアの外の灰皿
宿の部屋の中では当然タバコは吸えない。
各部屋のドアを開けて通路に出たところに右の写真のような大きな灰皿が置いてあり、そこで吸うことになる。
雨が降ろうと風が吹こうとである。こんな大きな灰皿でも、雨に降り込められて一日中宿にいる時などは結構な本数が溜まってしまう。
毎朝の掃除のときにきれいにしてくれるのだが、たまに捨てるのを忘れられたりすると、2日分が灰皿一杯になってしまうことがあり、他の部屋と比べても余りにも多い喫煙量に恥ずかしくなることがあった。
そんな時には、自分でこっそりとごみ置き場のごみ箱に捨てに行くことになる。
この手の灰皿は、長距離バスのレスト・ストップの時などにも必ず置かれていて、バスが止まるたびに真っ先に降りて灰皿のありかをさがす。


ドアの外に置かれた灰皿。
これが一杯になるには、相当吸わなければならないが……。

2001年12月8日

Pineapple Hotel

ちなみに、 Pineapple Hotel は1864年創業で、クイーンズランドでも最も古いパブの一つ。その名前は当時この辺りに点在していたパイナップル畑に由来している。
バーのほか、レストラン、ステーキ・ハウス、屋外にはビア・ガーデンなどもあって結構楽しめる。
近くに行く機会があったら、ぜひ立ち寄ってみていただきたい。


ブリスベン8日目 サッカー青年との再会

ブリスベンの朝は早い
5時起床。久しぶりの青空だ。昨日の雨で干せなかった洗濯物を干しに出る。
何かのCMではないが、ブリスベンの朝は早い。NHKの日本語放送が始まる5時15分には、もう相当高く陽が上がっている。
今日は土曜日でそれほどでもないが、6時にはもう人が動き出す。前のバス停にはバスを待つ人々が現れ始め、Main Street には都心へ向かう車が増え始める。
前にも書いたように、ブリスベンは東西4000kmのオーストラリア大陸の、そして東西1300kmのクイーンズランド州の最も東にあって、まさに「日出ずるところ」である。
地元のテレビ局 Channel 7 が "Sunrise TV" と称しているのもうなづける。
気分がいいので一人で早朝の散歩に出かける。
近所には戸建ての住宅もたくさんある。ほとんどが木造の高床式で、下はガレージや倉庫として利用している。Queenslander Style というのだそうだ。
Pineapple Park の芝生を横切り、別の道から帰ろうとすると、なんと Pineapple Hotel の奥、バーの隣りに Bottle Shop があるではないか。ここなら宿から2、3分。この前重いビールを遠くの店から担いで帰ったのは何だったのだ。


Queenslander Style の住宅

草サッカー
先日会った Bellmare 君から今日公園でサッカーの試合をやると聞いていたので、観戦に出かける。
たしか9時頃からの筈だったのだが待てど暮らせど誰もやって来ない。付近をぶらついて公園に戻ると、10時を過ぎてようやくポツポツと人が集まり始め、双方8人ずつで身体慣らしの練習が始まった。言葉を聞いているとほとんどが韓国人のようだ。
ミニ・マッチが終わり、これでおしまいかと歩きかけた時、ようやく彼が現れた。今日のユニフォームは Bellmare ではない。これから試合だというのでベンチに座りなおす。
日本人は彼を入れて2人。集まった人間を10人ずつに分け、40分ハーフの試合が始まった。
ブリスベン在住あるいは留学中の若者が、球を蹴ることに惹かれてここに集まっている。
ピッチは芝も粗く、ラインもゴール・ネットもない。個々の技術レベルも「草サッカー」というところだが、見ていて結構楽しい。
Bellmare 君もようやく身体が慣れてきて動きがよくなってきた。メンバーは途中で適当に入れ替わり、どっちが勝った負けたの試合ではないが、球を蹴り身体を動かすことを楽しんでいる。
試合が終わり歩き始めると、彼が走ってきて「今日はわざわざ来ていただいてありがとうございました」と笑顔をで頭を下げる。実に感じのいい青年だ。ここで初めてお互いに名前を名乗る。
彼は石田君で大阪府高槻市出身の21歳。3歳の時からサッカーを始め、高一でベルマーレ・ジュニアに入ったとのこと。


草サッカーを楽しむ若者達。
中央が Bellmare 君。

日本人留学生
宿からそう遠くないところに Shafston International College という大学があり、日本からの留学生もたくさん来ているようだ。
明日が日曜日なので、食材の買い出しに FRANKLIN に行くと、また石田君に出会った。お姉さんと二人で留学中で Shafston の寮に住んでいて今日は食事当番で買物に来たとのことであった。
後ろで日本語の会話を耳にしたので振り向くと、小さな子どもを連れた日本人夫婦がいる。奥さんが話しかけてきた。
彼女はご主人の1年間の留学に子どもを連れて同行し、学校の寮に住んでいる。ご主人は学校での勉強があるが、自分はご主人とお子さんの世話だけ。来豪して2ヶ月、英語も話させないので外出もままならない。「部屋ではタバコも吸えませんし……」と、かなりストレスが溜まっているようだ。
Botanic Garden や South Bank Parklands の人工ビーチなど、近くのくつろぎスペースに出かけることを勧めた。
Pineapple Park でも、ベンチでテキストを広げて勉強している日本の女性をよく見かける。
留学でこちらに来ている皆さんは、遊んでばかりいる姿しか見たことのないワーホリさん達と比べて大変なようだ。

2回目のビールの買い出し Pineapple Hotel
夕刻、残り少なくなったビールを買足そうと、今朝見つけた Pineapple Hotel の Bottle Shop に行く。
何時まで開いているかと訊いたら10時までだというので、じゃあ後で寄るといって隣りのバーに入ってしまった。
このバーは各種の馬券やくじなどが買えるようで、テレビ・モニターで常時実況を流しており、払い戻しの窓口もある。24時間やっているという KENO という名前のくじがあり、テーブルの上に賭けの投票用紙も置いてあったが、やり方がよくわからず挑戦はしなかった。
そんな様子を見ながら、途中で夕飯代わりにバーガーとチップスを注文し、結局 Stubby を5本ずつ飲んでしまう。
帰りに、ちゃんと Bottle Shop に寄って1カートンの XXXX を抱えて帰った。
今日は Pearl Harbor Day。テレビのニュースでは、アメリカの記念日の様子を伝えている。


Piney Bar の看板。
Pokies とあるのは、Aussie Slang で
gambling slot machine のこと。

2001年12月7日

ブリスベン7日目 I feel little cold

昨夜から今朝にかけてかなり激しい雨が降った。今日も一日降ったり止んだりの天気が続きそうで、どこにも出かけず休養することにする。
今日で1週間が経ち、リネンの交換と掃除が入った。
外は風が強く涼しすぎるほど。Marguerite に "I feel little bit cold." というと、掃除のお兄ちゃんと二人で "Cold?" "Rearly?" と笑っていた。我々の感覚では、間違いなく "Cool" を通り越していたのだが……。短パンとティー・シャツでは本当に風邪を引きそうだったのだ。

2001年12月6日

ブリスベン6日目 City Sights で一日周遊

St. John's Cathedral
家内の具合はよくなったが、今日は天気予報がはずれて朝からあいにくの小雨模様。
それでも、去年も乗った City Sights (一日乗り降り自由の観光バス)で街を回ってみようと、10時8分 Lookout のバス停から乗車する。去年15ドルだった料金はなんと20ドルに上がっていた。
Story Bridge を渡ったバスは China Town を通る。ここは前回も降りたし、あまりいいところでもなかったので素通り。他の客はみんな降りてしまって、残ったのは我々2人だけ。
次の St. John's Cathedral で下車する。去年は改修中で寄れなかったが、外壁の一部を除いて改修はほぼ完了した模様で、中を見せてもらう。
入場料は「お志」ということだったので50セント(2人で)を箱の中に入れる。後でパンフレットを読んだら、Donation $2.5/person と書いてあった。
別にケチったわけじゃないんですよ。相場(?)が分からなかったんです。確かに2人で35円じゃあ、日本のお賽銭にしても少な過ぎるよね。ああ恥ずかしい……。
新しいオーストラリアでも、どこの街も教会は立派。特にこの教会は規模も中の装飾もなかなかのものである。


St. John's Cathedral の内部。
ステンドグラスがきれいだ。

ANZAC Square
教会を出て ANZAC Square まで歩く。Shrine も、何故か去年見逃したところである。
Shrine は、第一次世界大戦の戦死者を弔うため1930年に建てられたもので、中では永遠の炎が燃えている
ところが、前まで行くとテープが張ってあって、何かの係員らしき人が「ここからは入らないでください」と制止する。仕方なく Square の外周の通路を通りどうにか写真を撮る。
広場に下りてもまた制止を受ける。頭に来て、"Why not?" と訊くと、申し訳なさそうな小さな声で "Movie." と来た。何だ!はるばる日本から来た観光客を止めておいて何が映画の撮影だ!……(これは勿論日本語で)とぼやきながら、結局 Shrine への立入りは諦めた。
ANZAC Square の傍の本屋で、安売り中の本を1冊買う。なんと定価の8割引9割引のものもある。


ANZAC Sruare に立つ The Shrine of Remenbrance。
中ではいつも火が燃えている。

Wickham Tarrace
Post Office Square を抜けて GPO へ。家内が気に入った組み立て式のボックスを買う。お土産を詰めて送るのに使うのだそうだ。
GPO 前のバス停から12時のバスに再乗車。前回泊まったモーテルのある Wickham Terrace に向かう。
Old Wind Mill の前で下車。この Old Wind Mill は、名前のとおり1829年に建てられた時は風力を利用した「粉ひき所」のはずだったのだが、完成しても技術に通じた人がいなくてびくとも動かず、結局囚人の労力を使った「人力粉ひき所」となってしまったといういわく付きの施設だ。
この辺りは City を見下ろす高台になっており、1842年の大洪水で入植当時の古い建物がほとんど失われた中でも無事に生き残った。


Old Wind Mill

両側に Gum Tree (OZ English でユーカリ Eucalyptus のこと)の並木が続く急な坂道を登りきったところが、昨年泊まった懐かしの SOHO Motel だ。健在だった。
「やっぱりここに泊まればよかった。」とこぼす家内に、「ここは20ドル高いよ。ダブル76ドルだもの。」となだめる。(結局8日後にはこちらに宿を移すことになるのだが……)

Roma Street Parklands
モーテルのそばの公園。去年はアルバート・パーク Albert Park という名前で、まだ整備工事中だったが、今回はきれいにできあがり Roma Street Parklands と名前を変えてオープンしている。
見事に刈り込まれた芝生。亜熱帯性の植物がふんだんに植えられた庭園。Ibis や鴨が遊ぶ池などなど。またまた憩いの場所を見つけた。
この公園はクイーンズランド州が管理しており、ホームページでも紹介されている。
http://www.romastreetparkland.com/
中をぶらついていると結構時間が経ってしまった。Roma Station 側のメイン・ゲートを出て、駅の中を抜けてトランジット・センターへ。


Roma Street Parklands の花一杯の庭園。

West End
トランジット・センターの向かいで1時59分のバスを待つ。
XXXX の Milton Brewry (ここであのビールが造られているんですよ!)を横目に見ながら、ちょっぴり遅めの昼食を取ろうと West End で下車してカフェに入る。
ピザ1人前、チップス1人前、XXXX 2杯ずつで、トータル33ドルの豪遊?!
ピザは結構いける。量は2人で1人前で十分だった。結局チップスは食べきれず、"Doggy Bag Please!" とあいなった。
今日は South Bank Parklands まで予定に入れていたのだが、Roma Street Parklands と昼食のビールで時間を取りすぎ、近場だしまた日を改めてということにして、ちょうど1周した Lookout で3時49分、一日の観光旅行を終えた。
West End でとった遅いめの昼食のため夕食は抜き。雨が本格的に降り出したためバーにも行けず、Doggy Bag のチップスをつまみにビールを2本ずつ飲んで夕食の代わりとする。


West End のカフェでビールと食事

2001年12月5日

ブリスベン5日目 近所の様子は

クリケット
今日も一日お金をかけずに近場をブラブラということで、ちょっと南へ歩いたクリケット場の辺りまで行ってみる。
そもそもクリケットという競技、日本では余り馴染みがないが、英国系の国民にとっては国技的なスポーツのようである。
テレビチャンネル9では、毎日のように対ニュージーランド戦の実況を流しつづけているが、競技の進め方もルールもまったく分からない当方にとっては全然面白くない。
クリケットの競技場は Oval と呼ばれ、卵型のグランドの周囲に観客席を設けた立派な施設。大きな街ならどこにでも1箇所はある。
ここのクリケット場の愛称は "THE GABBA"。この辺りが WOOLLOONGABBA という地区なので名付けられた。
ちょうど、脇の練習場で地元 Brisbane Bulls の選手が練習中だった。
隣りの公園のベンチで小休止。


近所にあるクリケット・スタジアム The GABBA の建物。
どう見ても道路にはみ出して立っている。

郵便料金も値上がり
郵便局まで歩いて、昨日書いた絵葉書を Air mail で発送する。昨年90セントだったはずの料金が1ドルに上がっていた。
GSTの施行で10%の消費税が加算されたのだから当たり前だが、一般にすべての価格がGST以上に値上がりしているように見うけられる。
スーパー・マーケット Franklin でパンとジュースを買い、Mowbray Park で昼食。
歩きすぎたのか、家内の具合が悪くなり、宿に帰って休む。

2001年12月4日

ブリスベン4日目 Kangaroo Point Cliff でピクニック

サンドイッチ持参で
サンドイッチは、クロワッサンにレタス、ベーコン、サラダと、食パンにレタス、オイル・サーディン。これは家内の手作り。確かに昨日行ったパン屋はおいしい。
Brisbane River の流れを眺めながら、ベンチで半日をのんびり過ごす。ようやく落ち着いた気持ちになる。
家内は親戚や友人に絵葉書6枚を書き上げた。


Kangaroo Point Cliff の垂直に切り立った崖。
右側にはブリスベン川が流れている。

昼食を広げると、早速どこからかカモメや Ibis が寄ってくる。
果ては、写真のような大きなトカゲまでが現れた。
このトカゲ、かなり大きい。追い払うと岩陰に隠れ、しばらくするともっと大きいのが顔を出す。家内はキャアキャアと騒がしい。
南の方には South Bank Parklands、対岸には Botanic Garden>。いずれも入場料は要らない。こんな風に一日のんびりと過ごせる環境が整っている街が羨ましい。
一日中ゆっくりしたかったのだが、雨がポツポツと来はじめたので、慌てて宿へ戻った。

鍋が割れた
夕飯はそばと肉じゃがとサラダ。肉じゃがを温めていた耐熱ガラス(と思っていたのだが)の鍋が割れてしまった。
電気ヒーターから流し台に降ろしたとたんパリンと来た。弁償か?
翌日 Marguerite に報告すると、これは電子レンジでしか使ってはいけなかったとのこと。

2001年12月3日

ブリスベン3日目 1年半ぶりの City へ

City そぞろ歩き
9時過ぎ、475番系統のバスで City へ。
購入したチケットは、ラッシュ時以外1日乗り放題の割引乗車券 Off Peak Saver ($4.6)。9時から15時30分までと19時以降で使用できる。
バスは Main Street を北上して Story Bridge を渡り、China Town の門の前を通って Ann Street に入る。都心までは10分足らずだ。City Hall の前で下車する。
1年半ぶりの City をそぞろ歩く。
昨年何度も来た King George Square で久しぶりに黒トキ Ibis の姿を見る。
広場には大きなクリスマス・ツリーが飾られ、テントではバザーが開催されている。

街はクリスマス

Queen Street Mall のカフェで朝のコーヒー。今度は間違いなく Long Black をオーダーした。
GPO でブリスベンの絵葉書を10枚購入。家内は早くも土産物になりそうなものを物色している。
Victoria Bridge 手前の Casino の角を南へ曲がり、Conrad Hotel を見て Elizabeth st. を東へ。
だんだんと去年の記憶が戻ってきた。
去年はどの店も GST (消費税)施行前の駆け込みセール一色だったが、今回はクリスマス商戦の真っ最中。暑い夏の12月、店にはクリスマス・デコレーションが溢れ、ホワイト・クリスマスやジングル・ベルが流れている。

400gのステーキ
Coles でステーキ用の肉(サーロイン、フィレ各400g)をはじめ2、3日分の食材を調達。
Off Peak Saver が使えるうちにと、3時過ぎのバスで宿に帰る。
今日の夕食は豪華版だ。部屋の中にステーキのいい匂いが漂う。

2001年12月2日

ブリスベン2日目 宿の立地条件

先ずは近くを探索
今日は日曜日で、City に出てもどこも休みだろう……ということで、宿の近くの利便施設を探索する。
目の前の小さな公園 Raymond Park (通称 Pineapple Park )を通って東へ向かう。小さいといっても、サッカーとクリケットのコートが1面ずつあり、芝生がきれいだ。
Shafston Av. と Wellington Rd. の角にBottle Shop を見つけた。(ニンマリ!)
その角を曲がって Lytton Rd. をさらに東へ歩くと、今日は休みだが郵便局も小ぶりのスーパーもあり、パン屋さんも薬局もあった。
この辺りはもう East Brisbane と呼ばれる地域だ。
対岸に New Farm を臨む、ブリスベン川沿いの Mowbray Park で、川風に吹かれながら一休みする。
帰りに Bottle Shop に寄り、XXXX GOLD の stubby を1カートン(24本入り)買って担いで帰る。冷やし代込みで26ドル。
375ml × 24 = 9kg は、かなり重い。前で抱えたり肩に担いだりしながら、最後は宿の階段でふうふうっ!
これで何日かバーに行かなくて済む。


担いで帰った XXXX GOLD のカートン。
375ml入りが24本。一日3本ずつ飲むと4日しかもたない

足の便は?
冷えてるうちにと早速1本ずつ開けてのどを潤してから、今度は Lookout の崖 Cliff を下りて、川沿いの遊歩道をフェリー乗り場のある Thornton st. まで歩いてみる。
City に出るにはこのフェリーかバス便があるが、ここまではちょっと遠すぎる感じだ。
バス停は宿のまん前だから、やはりこれがメインのルートだろう。
冗談のようだが、宿の前の通りの名前は Main Street。これ、ホントの話!
帰りには大きな病院もあった。ここでお世話になるようなことにはなりたくないが……。


Brisbane River

サッカー青年との出会い
Pineapple Park で、サッカー・ボールを蹴っている一人の日本人青年に出会った。
近づいてみると、なんと胸にベルマーレ Bellmare のマーク。思わず "Why Bellmare?" と声をかけてしまった。
ベルマーレの前身は小生の勤めていた会社のチームで、「ベルマーレ平塚」としてJリーグに在籍していたが、今はJ2に落ち「湘南ベルマーレ」となっている。
彼は大学生で、近くの英会話学校に1年間の留学中。ベルマーレにはジュニア時代に在籍していた由。身体が鈍らないように、こちらでもサッカーは欠かさない。ブリスベンのサッカー仲間と交流試合などに参加しているという。

Laundry
この宿の Laundry は敷地の一番奥まったところにあり、物干し場もある。
洗濯機、乾燥機とも1回2.2ドルで、コインではなく分銅型の Token を買って投入する仕組み。
とりあえずレセプションで3個を購入する。
夕刻のニュースで、「雅子妃に Princess 誕生」を報じていた。まずはほっとしたというところだろう。

2001年12月1日

ブリスベン1日目 懐かしのブリスベンへ

まだまだバスの中
夜が明けて今はどの辺だろうか。1号線を南下するこのバスは、海岸沿いの村や町に寄るために頻繁に東の支線に入る。
前回のバスはほとんどハイウェイを走っていたが、所要時間5時間余りの差はこのためだ。
季節がら乗り降りする人達の服装はティーシャツやタンクトップにショート・パンツ。勿論我々もご同様だが。中には水着に近い女性もいる。
昼前、Hervey Bay の街に寄る。帰りに Fraser Island に渡るなら、ここで2泊くらいすることになるのだが……と思いながら車窓から街の様子を観察する。
Laura は、Sunshine Coast の Noosa で下車した。南イングランドからワーホリできている彼女は、あと2ヶ月くらい仕事を続けてから国へ帰るのだそうだ。

ブリスベン到着
定刻少し前、16時ごろようやくブリスベンのトランジット・センターに到着した。
タクシーで Kangaroo Point の宿へ向かう。Kangaroo Point は Brisbane River を挟んで City の東側にある地域で、モーテルやホリデー・フラットが多いところ。今回の我々の宿 Paramount Motel もその一つで、川越しにシティのスカイ・ラインを一望できるビュー・ポイント City Lookout から5、6分の距離にある。

部屋にはダブル・ベッドとシングル・ベッドが入っており、トイレ、シャワー・ルーム、キッチン付きで、鍋、食器類なども一応揃っている。
名前はモーテルだが、いわゆる「サービス・アパートメント Serviced Apartment 」なのだ。
ここをとりあえず2週間予約しているが、部屋も広く快適な生活ができそうだ。


空から見た Kangaroo Point
左下にもう少し行くと Paramount Motel がある

早速飲んだXXXX
旅装を解きしばらくすると、早くも日が暮れて暗くなってきた。
ブリスベンはクイーンズランド州の(当然オーストラリア大陸の)一番東側に位置しているため、州の標準時でも日の出・日の入りが早い。夏の季節、朝4時半には日が昇ってきて、夕方6時を過ぎると暗くなってくる。
日の暮れた Lookout まで散歩をし City の夜景を眺める。
宿の1ブロック隣りには Subway のコンビニがあり、とりあえずの今日の夕食はここで調達した。
向かいの Pineapple Hotel 併設のバーに寄り、早速 XXXX GOLD を注文する。このライト・ビールは水代わりのようなもので、いつの間にか二人とも3杯ずつ飲んでしまっていた。しかし1杯2.1ドル(140円くらい)だから安い。
今日の夕食はソーメン。日本から持参したソーメンを茹でて、これも日本から持参しただし入りの醤油を使ってつゆを作った。家内が散歩に出る前に作って冷蔵庫で冷やしてくれていた。うまい!
やはり長期の滞在となると、たまにはこんな食事が欲しくなる。ケアンズの税関吏さん、ありがとう。


Story Bridge の近くまで行くと、こんな素晴らしい夜景が見られる

Paramount Motel はコンドミニアム?
部屋のドアの内側に、
「このユニットは売りに出されています。お問い合わせはシドニー在住の○○○まで」
という札が貼ってある。
とうことは、このモーテルは部屋ごとに所有者がいて、自分の使わない時はモーテルとして客を泊め運用益を還元する、いわゆる「コンドミニアム方式」のマンションのようなものなのかも知れない。
レセプションにいて、部屋の掃除もリネンの取り替えもすべてやってくれているのは、管理人さん?
その管理人の John & Marguerite は、どちらも60歳は超えていると思うが、大変気さくないいご夫婦だ。