tag:blogger.com,1999:blog-58357323720110731612024-03-13T09:27:28.912+09:00blog:中年夫婦の30日間オーストラリア滞在記2000年の旅から1年半近くが経ち、それぞれ一つずつ歳をとった私達夫婦は、2001年11月25日から、再びあの素晴らしい大地オーストラリアを訪れることとなった。
アメリカでの同時多発テロの発生、妻の入院などで多少出発が危ぶまれたが、今回はお気に入りのブリスベンで3週間をのんびりと過ごし、クリスマスを目前にした夏のシティを満喫。
クイーンズランド産のビール、XXXX GOLD を毎日のように飲み、1ヶ月間だけの『にわか』 QUEENSLANDER になった。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.comBlogger50125tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-76301405650015948402002-04-02T16:12:00.005+09:002008-12-03T07:37:46.364+09:00飲んだものの話飲みに飲んだり Stubby 120本以上日記編でもあちこちで書いているが、毎日毎日水代わりのようにビールを飲んだ。Bottle Shop で買い込んだ24本入りのカートンや6本パックをはじめ、バーやカフェでも地元産のビール XXXX GOLD LAGER をオーダーした。XXXX 以外のビールは、SOHO Motel のレセプションで買った VB 4本だけだった。2人で1ヶ月間に飲んだ量は、375mlの小瓶(オーストラリアでは、これを "Stubby" という。)で多分120本を優に超えているだろう。飛行機やバスの移動で物理的に飲めなかった時間を除けば、毎日一人2本半くらいを飲んだ勘定になる。「おらがビール」から業界再編へオーストラリア人は大変なビール好きで、一人当たりの消費量では常に世界十指に入っていると言われている。もともと 'VB' の Victoria Bitter やF1のmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-62970361482370937192002-03-30T23:10:00.002+09:002008-11-25T11:56:55.144+09:00オーストラリアのクリスマス2001年、クリスマス直前の一ヶ月をブリスベンとケアンズで過ごした。当時、ブリスベンのキング・ジョージ・スクエアには巨大なクリスマス・ツリーが立ち、街はクリスマス商戦の真っ只中。クリスマスのデコレーションが溢れ、モールのステージではクリスマス・キャロルを聞くことができた。ケアンズの宿のスタッフの女の子達は、ショーツとタンクトップやティーシャツでサンタの帽子をかぶった可愛い格好で迎えてくれた。しかし、残念ながらクリスマス・デーの早朝にケアンズを発って帰国してしまったため、南半球で迎えるクリスマスも、ほんの一端を垣間見たに過ぎない。暑い夏のオーストラリアのクリスマスを、オージー達はどんな風に過ごすのか。例によってウェブサイトを巡りながらちょっとばかりまとめてみた。35℃のクリスマス Australian Christmas in summerご存知のように、オーストラリアでは北半球とはmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-61381331323755065592002-03-26T16:10:00.001+09:002008-11-25T14:11:56.016+09:00オーストラリア版ジングルベルいつも川越の大槻さんからお送りいただいている、オーストラリア大好き人間のミニコミ雑談誌「カンガルー・ポスト」 "KANGAROO POST"に、オーストラリア版「ジングルベル」が掲載されていた。これは、クリスマス・ジョークのウェブ・サイト http://www.xmas-jokes.com に載っている替え歌で。真夏に迎えるオーストラリアのクリスマスをユーモアたっぷりに表現している。下線を引いた部分はオーストラリア独特のスラングなどで、大槻さんの訳をそのまま付けさせていただいた。Australian Jingle BellsDashing through the bush,in a rusty Holden Ute,Kicking up the dust,esky in the boot,Kelpie by my side,singing Christmas songs,It's mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-27093943822434819262002-01-26T16:10:00.000+09:002008-11-25T09:56:02.928+09:00カンガルーオーストラリアの代表的動物といえばカンガルー。名前は、初めてその動物を見た英国人が「あの動物は何だ?」と先住民アボリジニにたずねたところ「カンガルー(先住民の言葉で「あんたの言っている言葉がわからないよ」という意味)」と答えたことに由来するという。オーストラリア全土には、カンガルーの仲間が50数種類生息している(体長15~40センチのマスキーラットカンガルーやベトン、ポトルー、クォッカ、体長35~80センチほどの各種ワラビー、パディメロン、体長65センチほどの各種ツリーカンガルー、体長70~120センチほどの各種ワラルー、そして体長70~150センチほどの各種カンガルーだ)。カンガルーがお腹のポケットで子供を育てるのはよく知られている。最もポピュラーなグレイカンガルー(オオカンガルー)の場合、その子供は妊娠後約36日で産まれてきて、ポケットに自力で入っていく。ポケットの中には乳首があってmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-49831801791747306082002-01-22T16:10:00.000+09:002008-11-25T09:53:09.118+09:00女王陛下の国ご存知のようにオーストラリアは『女王陛下の国』。(これが、結構ご存知ではない方もいるから不思議なのだが……。)オーストラリアはイギリス連邦 The British Commonwealth の一員であり、エリザベス女王2世を国家元首にいただく立憲君主制をとっている。その証拠に、国旗にはユニオン・ジャックが描かれ、流通するコインには今でもエリザベス女王の横顔が描かれている。最近デザインが変わったが、昨年までの5ドル札の表側にも、女王の肖像が描かれていた。即位の時の女王陛下現在の女王陛下エリザベス女王2世は、今年6月2日在位50周年 Golden Jubilee を迎えられた。1953年の戴冠式には、日本からも、当時皇太子だった今上天皇が昭和天皇の名代として参列されたのを記憶している。その女王が、今年2月、連邦結成100周年を迎えたオーストラリアを訪れ、国民の大歓迎を受けた。帰国後しばらくしmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-48326771590421922812002-01-20T06:10:00.000+09:002008-11-25T09:45:00.022+09:00Aussie Slang in Aussie English変な題名だが、帰りにケアンズ空港の売店で買った John Blacman 氏の "Aussie Slang" を紹介する第2弾。今回は、すべてを英語で表示してみることにする。日本語に訳せないことはないのだが、スラングの奥に潜む微妙なニュアンスを表現するほどの英語力は持ち合わせていないし、原文を読んでいただいて「にんまり」していただくのも結構面白いと思うのである。ちょっと手抜きをした……という方が本音かもしれない。膨大な数の氏のスラング集から「これは」というものを拾い上げ、勝手にいくつかのジャンルに分類させていただいた。一部第1話でご紹介したものと重複しているところもあるが、ご勘弁いただきたい。COMMON WORDSAussieShort for Australian mate! Pronounced as 'ozzie' not 'oss-see' as many Americans mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-11217644897515803542002-01-18T23:00:00.000+09:002008-11-24T23:44:04.752+09:00ブリスベン川 The Brisbane RiverKangaroo Point の Cliff-side を歩いている時、家内が私に「ブリスベン川ってどうしていつ来てもこんなに濁っているんだろう?」と言う。その答えは、遊歩道沿いに点々と置かれているステンレス製のパネルですぐに見つかった。そこには、こんなことが書かれている。『……最初にここを訪れた開拓者達は、いつも澄んでいるきれいな川でたくさんの魚やブラック・スワンを見ることができ、岸辺ににはすいれんが咲き大きな木々が聳え立っていた。50年前でさえ、泳げるくらいにきれいで、川沿いには砂浜があった。……今では、開発が進んだために、雨が降るたびに上流の泥や汚染物質が川に流れ込み、ブリスベン川はこんなにも濁ってしまった……。』と。蛇行する Brisbane Riverいつ見ても、こういう風に茶色に濁っている心臓部をゆったりと流れるブリスベン川はまさにブリスベン市のシンボルであり、上水や工業用水mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-33907629783818352082002-01-15T22:00:00.000+09:002008-11-24T23:30:58.641+09:00ブリスベンの歴史(入植からクイーンズランド州誕生まで)Brisbane は、人口863,769人、周辺まで含めると160万人の人口を擁するクイーンズランド州の州都である。その生い立ちは、19世紀初頭の流刑植民地の設営にまでさかのぼる。最初の入植からクイーンズランドが州として独立し、ブリスベン市が誕生するまでを、物語風に綴ってみた。最初の設営「罪人達はどこか他のところに送ってしまえ!」New South Wales の自由移民達は、口々にこう要求した。知事ブリズベン卿 Sir Thomas Macdougall Brisbane は、新しい流刑移民(彼らは 'worst kind of felons' と呼ばれていた。)を送る適切な場所を見つけるため、シドニーの北部に調査団を派遣する。長距離輸送は船で行なわれていたため、よい停泊地のあることが求められ、それも大きな川に近いサイトが理想だった。 1823年、Mermaid 号で Moreton mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-16250835821703429842002-01-12T22:10:00.000+09:002008-11-24T20:44:33.598+09:00"Bus & Ferry Fares"これからブリスベンを訪れ、ゆっくりと滞在する予定の方のために、市内のバスやフェリーの料金システムがどうなっているかをご紹介しておこうと思う。Bus ZonesCity Bus のバス料金は、City を中心に描かれた同心円で5つに区分された Zone があり、乗降する区間がいくつの Zone に跨っているかで決められる。(右の図が Zone Map)Zone Map は、インフォメーション・センターなどでパンフレットや路線毎の時刻表 Time table を貰えば載っている。Zone Map ではゾーンの境界 Zone Boundary が大まかにしか分からないが、時刻表にはその路線のゾーン境界がどこにあるかが表示されていて、あらかじめ自分が何ゾーンのチケットを買えばよいかが分かる。判らなければ運転手に行き先を言えば何ゾーンかを教えてくれる。私達が泊まった宿 Paramount の前のmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-85234312250685003642002-01-10T13:10:00.000+09:002008-11-24T20:13:38.153+09:00現在の "Queenslander"戦後は、新しい時代の中で 'Queenslander' が次第にその本来のアイデンティティーを失って行った時代と言っていいかも知れない。元来、典型的な 'Queenslander' の設計においては居間、寝室、などの居室を重視した間取り構成と装飾に重点が置かれ、キッチン、浴室などは裏側のベランダや床下部分に追いやられた補助的空間として扱われてきた。しかし、ガスや水道の普及、女性の地位の向上などにより、利便性と働きやすさなどが求められた結果、それらはようやく2階の住宅内部に取り込まれ、より広いスペースを占めるようになる。家族構成員それぞれのプライバシーの保護が要求されて部屋数も増え、間仕切り壁は従来の1枚壁から厚い壁に取替えられた。これらの結果、家全体の間取り構成に変化が生じ、通風のため設けられた中央の廊下が消えた。古きよき時代へのノスタルジアもあって、多くの人々は現在の家を改造をする道をmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-76614672922760600192002-01-07T13:10:00.000+09:002008-11-24T20:09:10.014+09:00"Queenslander" の歴史と発展'Queenslander' は、初期の入植者のみすぼらしい掘っ立て小屋に始まり、1930年代以前の方形屋根のバンガロー・ハウスの登場に至るまで、さまざまな知恵と工夫が加えられ発展を続けてきたクイーンズランドの特有の木造住宅の建築様式である。他の州に比べて木材が手に入りやすかったこと、増大する入植者の住宅需要に早急に対応する必要があったことなどから、政府も短期に建築可能な木造の住宅を奨励した。クイーンズランドでは1850年代には既に製材所が建設され、住宅建設に必要な木材が豊富に供給される体制が整っていた。鉄板で葺かれた屋根は 'Queenslander' の一つの特徴だが、これは熱帯の風雨に瓦より抵抗力のある材料として、遥か遠くから運ばれた。木材は安価な材料ではあったが白蟻の侵入を受けやすい。この白蟻への対策が画期的な工夫を生む。白蟻の有無を目で監視できるように家全体を支柱で持ち上げ、mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-48734272054330159672002-01-06T13:10:00.000+09:002008-11-24T17:47:31.202+09:00"Queenslander"これは「クイーンズランド育ちの人」または「クイーンズランドに住む人」の話ではなく、クイーンズランド特有の高床式木造住宅の話である。ブリスベンでもケアンズでも、そして途中でバスが止まった小さな街でも、下の写真のような、高床式で白やアイボリー色のペンキで塗装された木造住宅をたくさん見かけた。これらの住宅様式を "Queenslander Style" あるいは単に "Queenslander" と呼ぶ。またこの様式で建てられた住宅そのものもまた "Queenslander" と呼ばれていて、 "Queenslander" に住み Queenslander らしいライフ・スタイルを貫くことが、 Queenslander の誇りであり、憧れであるという。(ちょっとややこしい!)"Queenslander" の特徴写真でお分かりのように、 'Queenslander' は構造および外観上、一般的にmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-85196442989509007402002-01-05T11:10:00.000+09:002008-11-24T17:33:05.304+09:00"ie" を付けて愛嬌のある Aussie Slang に今回は、比較的 Aussie と話す機会が多かった。不勉強のせいで、前回に比べて英語力は格段に落ちている。それもビールを飲みながらだから、'Pardon?' 'Excuse me?' 'What did you say?' などと、何度も訊きかえしながらの会話である。こういうときには 'Pardon me?' だけでは恥ずかしいので、いろんなきき方を用意しておいた方がいい(笑)。そんな会話の途中で耳にしたいくつかの Aussie Slang の中で、何となく「かわいいな!」と思ったのが、名詞の語尾に "ie" を付けて一種の親しみを込めて表現する習慣だった。オーストラリアあるいはオーストラリア人を "Aussie" といい、野菜 'vegetables' を "veggies" という。また、"barbie" は 'barbecue' のことであって、「バービー人形」ではない。よく飲んだmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-35574849832220361772001-12-25T23:30:00.000+09:002008-11-20T15:25:00.387+09:00帰国-成田は寒かった0時にチェック・アウトして、タクシーで Cairns International Airport へ。早めにチェック・インと出国手続きを済ませ、留守番と愛犬「寧夢」の世話で一番世話になった長女に、免税店で約束のブルガリの香水を買う。残ったキャッシュで、"Aussie SLANG" と "Aussie GAGS" という本を買った。面白いものがあったら、いずれ皆さんにご紹介することにしよう。Smoking Balcony でタバコを「まとめ吸い」してから、12時半にJL768便に搭乗。機上の人となった。窓際に席に座った家内は、飛び立ってしばらく窓を眺めている。1ヶ月を過ごしたオーストラリアともこれで本当にさよならだ。ひょっとしたら、目がウルウルと来ていたのではないだろうか。成田へはほぼ定刻19時に到着。建物の中は暖かいが、タバコを吸いに外に出ると「ぶるっ」とくる。荷物を開けて、向こうで買っmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-35005844361857818302001-12-24T23:30:00.000+09:002008-11-20T15:23:52.524+09:00帰国まであと1日-クリスマス・イブレセプションにはクリスマスのデコレーションが飾られ、大きなサンタの靴がぶら下がっている。女の子達も皆赤い帽子をかぶっている。ティーシャツとショート・パンツにサンタの帽子なのだから、何とも変な感じだが可愛い。あちこちの壁には、「25日夜、プール・サイドでクリスマス・パーティー開催します。会費は5ドル。」というビラが貼ってある。残念だが明日の夜は日本だ。レセプションのお兄ちゃん(彼はイギリスから来た大学生だった。)達と、オーストラリアやイギリスと日本の Christmas Eve の過ごし方の違いについて話す。こちらでは、イブは自宅でテレビを見たり本を読んだりして静かに過ごす。正に "Silent Night"。25日の Chritmas Day には、プレゼントを開けシャンペンを飲んだりして、結構にぎやかに騒ぐという。日本にないのは26日の Boxing Day。プレゼントの入っていた箱 mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-70204891700016229492001-12-23T23:30:00.000+09:002008-11-20T15:22:02.384+09:00帰国まであと2日-3週間ぶりのケアンズ朝6時過ぎタウンズビルに着いた。ここで車両が替わり、7時15分に出発。エアコンの効きも少しはましになる。乗客も少し減り、車内はゆったりとしてきた。あと数時間の辛抱だ。Mc'Cafferty's のバス。みんなに頼まれてしまう運転手は、「またかい?」という顔で苦笑いしながらシャッターを押してくれた。バスは順調に走り、定刻前にケアンズのトランジット・センターに到着。タクシーで常宿 Inn The Tropics に入ったのは午後1時だった。今回はシャワー付きの部屋を頼んだので一泊55ドルとちょっと高め。案内された部屋は、1階の一番奥の、去年最初に泊まった部屋だった。ところが、ブロックの壁が外から西陽を十分過ぎるほどに浴びて、暑いこと暑いこと。エアコンのタイマーに1ドル硬貨を放り込んで、涼しくなるまで夕食を買いに外出する。最後になるであろう XXXX GOLD の6本パックを買って宿に帰ると、mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-87833035452135920932001-12-22T23:30:00.000+09:002008-11-20T15:16:45.262+09:00ブリスベン22日目 ケアンズへ出発早朝のNHKのテレビで、野茂がドジャースに復帰と伝えていた。そういえば、星野が阪神の監督へ、田淵がヘッド・コーチにというニュースも聞いた。7時過ぎにチェック・アウトして、バックパックを背負い、手にも重い荷物を下げてトランジット・センターへ歩く。下り坂でよかった。8時30分、ケアンズ行きMC145に乗り込む。いよいよブリスベンにさよならだ。バスは Mc'Cafferty's。外観はきれいだが、かなりの中古車両。椅子のクッションは堅く、おまけにエアコンのききが悪くて、途中でとうとう屋根の通気口(非常口を兼ねている)を開けて走ることになってしまった。運転手がいろいろといじっていたが、ビデオも映らない。先が思いやられる。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-43103907433653265112001-12-21T23:59:00.000+09:002008-11-20T15:14:38.818+09:00ブリスベン21日目 ブリスベン最後の一日3週間滞在したブリスベンもとうとう最後の日となってしまった。朝から洗濯と Packing。昼過ぎにはこれもほぼ片付いた。JAL Cairns に Reconform の電話を入れる。JALはリコンファームは必要ないことになってはいるが、念のためである。"Does anyone speak Japanese?""Yes. Wait a moment please."助かった。日本語で話せた。さらに、予約していたケアンズの宿に到着予定時刻を連絡する。午後近所を散歩がてら Mall まで食事に出かける。Our Favourite City, Brisbane ともお別れだ。やっぱり、もう一度来ようという気になる。今度来るときは、娘達と一緒に家族旅行だ。やっぱり、Brisbane City にこのメダルを進呈しよう!mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-54638721223506071702001-12-20T23:59:00.000+09:002008-11-20T15:09:19.793+09:00ブリスベン20日目 380gのサーロイン・ステーキ朝からブリスベン最後の Souvenir Shopping に出かける。GPO の Austraian Post で、前から目をつけていたものをいろいろと買いこむ。帰りの荷物は出きるだけ減らしたいので、神戸の姉の分だけ Air Mail で発送。ここには各種サイズの梱包用資材も売っていて便利だ。ダンボール箱一杯に詰めこんだ郵送料は、$34.5にもなってしまった。さらに Mall でいくつかの買物をして、重い荷物をぶら下げて宿への坂道を登る。今日が一番きつかった。午後は荷物を整理して Packing の準備で時間を費やす。余分な物は何も持たない、何も買わない主義で来たはずなのに、結構荷物が増えてしまった。夕食は下のレストランで、これも最後の Ausie beef となるかも知れない Sirloin Steak。約380gとデカイ!これで1枚が14.5ドル。カウンターに席を移して mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-10416164729287023922001-12-19T23:59:00.000+09:002008-11-20T13:41:40.799+09:00ブリスベン19日目 Lone Pine Koala Sanctuaryカンガルーも暑そうMyers Center の地下から430番のバスで2度目の Lone Pine へ。ここも2ゾーンだからチケットは当然 Off Peak Saver。1年半ぶりにカンガルーやコアラたちに会う。夏で暑いせいか、カンガルー達は皆木陰で休んでいる。去年は餌を見せると寄ってきて手を擦り合わせるようにしておねだりしていたのだが、今回は、仕方なく「食ってやるか」という感じである。中には完全にそっぽを向く奴もいる。壁を爪でがりがりやっていたウォンバットも穴の中で仰向けになって寝ていて、出てこようともしない。世界最高齢のコアラだった Sara も亡くなったのか、Koala Retirement Home の表示が書きかえられている。今は1981年生まれの Dowell というオスが最高齢だそうだ。Lone Pine Koala Sanctuary の子どものカンガルー。この子はmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-8918161232094168732001-12-18T23:30:00.000+09:002008-11-20T13:32:13.346+09:00ブリスベン18日目 土産物を買うスーパーにも土産品がブリスベンでの滞在も残り少なくなってきた。午後、土産物の買い出しに出かける。とは言っても、もともと買物ツアーに来たのではないから、「行って来た」という「しるし」程度の小物があればいい。数は結構たくさん要る。そこで見つけたのが、スーパー Coles の雑貨売り場。小さなコアラの「詰め合わせ」、ロード・サインのコースター、オーストラリアの国旗のついた爪楊枝など、Mall の土産品屋の半値くらいで売っている。大量に籠に入れてレジに持っていくと、一個一個バーコード・リーダーを通すものだから、長い長いレシートになってしまった。帰国してから土産と称して小物を受け取っていただいた方々、そんなわけで大変な安物だったのです。ごめんなさい。Hotmail をのぞきに NIPPON-YA に寄り、帰ろうとすると King George Square のステージで Christmas mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-72774863498809277342001-12-17T23:30:00.002+09:002008-11-21T10:35:11.321+09:00ブリスベン17日目 Mount-Coot-thaへ洗濯室が混んでいる早朝から洗濯をしようとレセプションに Laundy Room の鍵を借りに行くと、混んでいるので空いたら電話で連絡するとのこと。あいにくここの宿は、洗濯機、乾燥機とも1台ずつしかない。雨の日が続いたので、皆さん思いは同じなのだ。順番を待って洗濯を済ませる。洗濯1.2ドル、乾燥3ドル。Dryer はちょっと高めだが、大きなマシンなので全コース1時間かからずに完了。Mount Coot-tha からの眺め洗濯の順番待ちで昼近くになってしまったが、City Hall の前から471番のバスでマウント・クーサ Mount Coot-tha へ向かう。City からは 2 zone で片道2.6ドルだが、帰り3時半までのバスには乗れそうだから、ここも割引チケット Off Peak Saver 4.8ドルを買う。Mount Coot-tha から City を臨むMount mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-82093704029330004302001-12-16T23:30:00.000+09:002008-11-20T12:14:58.685+09:00ブリスベン16日目 休養日昨夜来の大雨が残り、今日は一日休養。外に出るのも億劫なので、レセプションで Stubby を4本買う。今回はいつもの XXXX GOLD ではなく VB Victoria Bitter にした。何故って、それしか置いてなかったからに過ぎない。この VB は、名前のとおり Victoria 州産のビールで、Fosters と共にオーストラリアを代表する銘柄。日頃あまりビールを飲まない小生にとっては、XXXX GOLD のようなライト・ビールの方が口に合っている。クイーンズランドに来たら、やはりクイーンズランド産を飲まなければ……。それでこそ、Queenslander なのだ。SOHO Motel の全景。我々の泊まった部屋は反対側にある。大盛りシーフード夕食は地下のレストランで。入り口に「シーフード盛り合わせ山盛り、$20!」と書いてあったので、これを1人前とカルボナーラのパスタ1人前をmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-87675348257894131082001-12-15T23:30:00.000+09:002008-11-20T12:10:59.723+09:00ブリスベン15日目 新しい宿 SOHO へ朝10時チェックアウト。2週間お世話になった Marguerite と写真を撮る。4日目に割ってしまったガラスの鍋の弁償は請求されなかった。2週間お世話になった Mrs. Marguerite と。タクシーを呼んでもらって、Wickham Terrace の SOHO Motel へ。レセプションの様子は去年のままだ。チェックインした部屋はまたまたいみじくも昨年泊まったのと同じ303号室のツイン・ルーム。ラッキー!部屋に案内してくれたレセプションのお兄ちゃんが、来年はドアに "JONAI'S ROOM" という札をかけておくよと冗談を言っていた。しかし、ここの部屋はやはり狭い。キッチンもない。今までと生活パターンを少し変えなければならないだろう。午後、付近を散歩しながら、買物ができる場所、コーヒー・ショップ、レストランなどを確認する。近くに Bottle Shop もちゃんと見つけた。目mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5835732372011073161.post-12741439537531463422001-12-14T23:30:00.000+09:002008-11-20T12:06:57.983+09:00ブリスベン14日目 Paramout Motel 最後の一日2週間過ごした Paramount Motel も今日が最後となった。二人ともかなづちなので一度も入ってなかったプールで日光浴。このプールは、我々の泊まった2階の14号室のすぐ下にあり、プール・サイドではBBQもできる。チェアの側に灰皿を置いてタバコを吸いながら、のんびりと過ごす。ティーシャツを脱いでチェアに寝ていたら真っ赤に日焼けしてしまった。4時頃から Packing を始める。結構土産物が増えている。明日からの宿はキッチンが付いていないので、残った食材をすべて調理する。もちろん「引越しそば」も。夜7時半から、Channel 7 でブリスベン市主催の "Christmas Carols' を見る。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0