2002年1月22日

女王陛下の国

ご存知のようにオーストラリアは『女王陛下の国』。(これが、結構ご存知ではない方もいるから不思議なのだが……。)
オーストラリアはイギリス連邦 The British Commonwealth の一員であり、エリザベス女王2世を国家元首にいただく立憲君主制をとっている。
その証拠に、国旗にはユニオン・ジャックが描かれ、流通するコインには今でもエリザベス女王の横顔が描かれている。最近デザインが変わったが、昨年までの5ドル札の表側にも、女王の肖像が描かれていた。


即位の時の女王陛下


現在の女王陛下

エリザベス女王2世は、今年6月2日在位50周年 Golden Jubilee を迎えられた。1953年の戴冠式には、日本からも、当時皇太子だった今上天皇が昭和天皇の名代として参列されたのを記憶している。
その女王が、今年2月、連邦結成100周年を迎えたオーストラリアを訪れ、国民の大歓迎を受けた。帰国後しばらくして皇太后が亡くなられたが、いずれについても、その報道ぶりはなかなかのもので、オーストラリアでの王室人気は今もまだまだ高いように見受けられる。
現在、エリザベス女王を国家元首とする英国以外の立憲君主国は、アンティーグア・バーブーダ、オーストラリア、バハマ、バルバドス、ベリーズ、カナダ、グレナダ、ジャマイカ、ニュージランド、パプア・ニューギニア、セントキッツ・ネビス、セントルシア、セントビンセント・ブレナディーン、ソロモン諸島、ツバルの15カ国。
それ以外にも、英連邦には共和国32カ国、独立君主国6カ国が加盟している。
オーストラリアの街を歩くと、Royal Botanic Gardens、Royal Hospital など、'Royal' (王立)を冠した施設が見受けられ、軍隊も、Royal Australian Air Force (RAAF)、Royal Australian Navy (RAN) である。

しかし、あの底抜けに明るい Aussie 気質とオーストラリアの風土には、『女王陛下の国』という言葉がしっくり来ないと感じるのも事実である。
戦前までの移民は、ほとんど英国系が占めていたが、今ではオーストラリア国民の23%が外国生まれ、25%は少なくとも片親が外国生まれ、14%は家庭で英語ではない言語を話す。このような社会背景では、英国王室を元首にいただく根拠は薄まる一方だ。
今後、オーストラリアはどんな道を歩むのであろうか。

1999年11月6日、オーストラリア政府は、エリザベス女王を国家元首とする現在の立憲君主制から、大統領を元首とする共和制に移行するかどうかを国民投票で国民に問うたが、結果は、反対 'NO' :約54%、賛成 'YES' :約45%で否決された。

この国民投票には、少々『裏』があると言われている。
事前の世論調査では、オーストラリア国民の大多数は共和制を望んでおり、君主制継続派は9%しかいなかった。それが何故このような逆転結果になってしまったのか。
オーストラリアは、1970年に労働党政権がスタートして、それまでの「白豪主義」から「脱欧入亜」のアジア親密政策に転じ、共和制への移行論議も盛んになった。
しかし、1996年に保守連合が勝利してジョン・ハワード John Howard 首相になると、再び「白豪主義」が復活し、共和制への移行の動きは消極的になっていく。
ハワード氏は、そのときの選挙で、自分が君主制支持者であることがマイナスにならぬよう、「首相になったら、共和国化について問う国民投票をやる」と公約した。
この公約を守るため、ハワード首相は憲法改訂のための評議会を召集し、そこでの議論の結果、「共和国化するとしたら、新設される大統領は上下院が投票で選出する」という結論を出した。
一方、世論調査では、国民の多くは、間接制ではなく国民が直接大統領を選ぶ直選制を望んでいた。しかし、評議会が間接制を打ち出したため、国民投票の争点は「君主制維持」か「間接選挙の大統領制」かという二者択一になってしま、共和制派の多くは、間接制では意味がないと考え、今回は改憲しないという方に投票したのだった。

オーストラリアは、首相も議会で選ぶ間接選挙制(議院内閣制)で、大統領を直接選挙で選んでしまうと、大統領の方が民意を反映した存在ということになり、首相と大統領の意見が対立した場合、大統領の立場の方が強くなり、国家元首の大統領を象徴的存在にとどめておけなくなる。権力システムの現状維持を望む連邦議会の政治家たちは、民意に反しても間接選挙で大統領を選びたがった。
そしてハワード首相は、国民と議会とのこのギャップを利用して「現状維持」という国民投票の結果を引き出したのだった。

当時のこの投票結果に、共和制派のリーダーは、
「ジョン・ハワードは、国民の心を傷つけた首相として、その名を歴史に残すであろう。彼はオーストラリアに外国の女王を扶養させることにした男だった。」
"He will just be remembered as the prime minister who broke this nation's heart. He was the man who made Australia keep a foreign queen."
と酷評している。
一方、女王は、
「オーストラリアの立憲君主制の将来については、オーストラリア国民の問題であって、彼らだけで民主的かつ憲法に準拠した方法で決めればよい、と常々明言してきました。」
"I have always made it clear that the future of the monarchy in Australia is an issue for the Australian people and them alone to decide,by democraticand constitutional means."
と述べて、オーストラリアの国家元首の継続を喜んで受諾された。

世界の歴史の潮流は共和制に移行しつつあり、いずれはこの国も、英連邦のくびきを逃れ、共和国に変わる日もそう遠くないかも知れない。
しかし一方、国民投票や議会で選ばれた大統領が必ずしも清廉潔白な、民主的政治家とは言いがたく、国民を不幸にしてきた近代・現代の事例も多い。
'No more power to the politician' のスローガンは、「レベルの低い政治家に大統領として大きな権限を与えるよりも、今は立憲君主制の方がまだましではないか」という、オーストラリア国民の『次善の選択』だったようにも思える。

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