2001年11月30日

ケアンズ5日目 ブリスベンへ向かう

Black が White に
朝9時過ぎ、タクシーを呼んでもらって Trinity Wharf のバス・ターミナルへ。ブリスベン行きGX448便へのチェック・インを済ませる。
出発までの間、ターミナルの Kiosk でコーヒーをオーダーする。"Black or white?" と訊かれたので、 "Black" と答えたはずなのに、テーブルに持ちかえってみると何故かミルクの入った white 。
小生の発音が悪かったのかと考えてみたが、まさか "black" を "white" に聞き間違えることもあるまい。単なる店員のミスのようだ。面倒くさいのでそのままミルク・コーヒーを飲んでしまった。

29時間のバスの旅
バスは定刻11時に発車。前回はブリスベンまで約24時間だったが、今度は約29時間の長丁場である。
Greyhound のGX448も、使っている車両は Mc'Cafferty's。運転手の制服は相変わらず半ズボンだが、胸には Greyhound のマークが付いている。
1号線を南下する車窓にサトウキビ畑が見えてくる。ほとんどの畑が今年2度目の刈り入れが終わったばかりのようで、キビの高さは1mにも満たない。サトウキビ鉄道も動いていない。ちょっと残念だ。


1号線沿いのサトウキビ畑。
道路脇にはサトウキビ鉄道の線路が走っている

昨夜ケアンズの宿で話しこんだ Laura は同じバスの後方の座席に座っている。車内では席が離れていて話す機会はなかったが、かなりの Heavy Smoker の彼女は、Rest Stop や Meal Stop で灰皿のあるところに行けば必ず会える。"Smoking Stop" だね、と笑ってしまった。

夕方、昨年2泊した Townsville のトランジット・センターでバスが止まる。見覚えのある丘や建物が目に入り懐かしい。
ここのターミナルは何故か屋内喫煙可能なのを思い出したので、例によって外でタバコを吸おうとする Laura を誘って、冷房の効いた待合室のベンチで一服する。

2001年11月29日

ケアンズ4日目 雨の日の過ごし方

ワーム・メールの襲撃
朝からあまり天候がよくない。簡単な食材の買い出し程度で済ませるつもりで外出。
以前にも寄ったことのある Aplin St. の角のインターネット・カフェで、娘達への定期報告の hotmail を送受信する。
ところがである。いつも使っているアドレスへの受信メールを POP Mail で転送させたものが読めない。
先ずは、「容量を超えているためすべてを読みこめません。」のメッセージが表示され、メールを開こうとすると、「このメールはウィルスに汚染されたファイルが添付されています。」とくる。
メッセージに従って一つ一つ処理していると、どんどんと時間が経ってしまう。帰国してから調べてみたら、11月27日付でなんと数十通ものワーム・メールが入っていた。
結局、このあと1ヶ月間、インターネットの使用は hotmail と BBS だけに留め、常用のアドレスへのアクセスは諦めざるを得なかった。
この話は、場所を代えて詳しく報告させていただくつもりだ。
インタネット・カフェを出たところで、とうとう雨が降り出した。Cairns Central の Coles に飛びこみ、フードコートで昼食を済ませ宿に帰る。

雨降りの夕食

Inn The Tropics には、共用のキッチンがあり、中庭にはテーブルと椅子が並んでいる。
ただし、ほとんどのテーブルはパラソルがかかっているだけで、屋根の下には2つのテーブルしかない。
普通は、夜風に吹かれ星空を眺めながら外で食事をとる。顔見知りの仲間を誘ってビールを一緒に飲むこともある。
しかし、雨が降ると屋根下のテーブルは取り合いとなり、はずれると食事は部屋に持ちかえって食べるしかなくなる。
部屋にはプラスチック製の椅子があるだけで、テーブルはないから、椅子をテーブル代わりにして、写真のような惨めな光景となる。
メニューは、ロースト・チキン、ソーセージ、野菜サラダなどなど、結構豪華だったのだが……。


残念ながら、食べてしまった後だが

同宿の仲間と
そんな夕食を済ませた後、Smoking Time で中庭に出ると、屋根下のテーブルで喋っている数人がいて仲間に入れてもらった。
ワーホリの日本人女性、Brisbane 出身の Aussie (男)、イギリスからのワーホリで来た Laura 。
日本人嬢の買って来たワイン(紙パック入りのワインだった。どこで売っているんだろう?)をすすめられて、またまた酒を飲んでしまう。
部屋でもう眠ってしまっているであろう家内を気にしながらも、12時近くまで話しこんだ。
日本人嬢はこの宿に泊まって4日間のダイビングのレッスンに参加している。ブリスベン氏はアメリカ、カナダ、イギリスなど旅行経験が豊富で話が面白い。明日 Brisbane に発つのだというと、市内の散策コースをいくつか教えてくれた。
イギリスからの Laura は、ワーホリで Sunshine Coast で働いており、休暇をとってイギリスから母親を呼び寄せて Cairns を案内したのだそうだ。
彼女は明日の我々と同じ便で Brisbane へ向かう由。

2001年11月28日

ケアンズ3日目 二日酔いのキュランダ

二日酔いの朝
朝、滅茶苦茶の二日酔いで起床。
家内の機嫌が悪い。昨夜は調子に乗って飲みすぎたらしい。
向かいの Sunshine Tower Hotel の前でバスのピックアップを受け、キュランダ観光に出かける。
酒が完全に残っており、日本人ガイドの話もほとんど耳に入らないほど調子が悪い。おまけに今日の最高気温は35度にも達する由。先が思いやられる。

Skyrail で Kuranda 村へ
ケアンズの北カラボニカ・レイク Caravonica Lakes とキュランダ Kuranda を約90分で結ぶスカイレール Skyrail Cableway は、延長7.5km、世界最長といわれるロープウェイだ。世界遺産に登録された熱帯雨林を眼下に見ながらゆっくりと進む。
この貴重な自然を損なわないよう、環境調査から開業まで7年をかけ、建設資材はすべてヘリコプターで運び、工事に従事する人々も現場まで徒歩で移動したそうだ.。樹木の伐採は鉄塔の足元と駅の部分の最少限に止めている。
途中2つの駅があり、降りて熱帯雨林の中を散策したり、バロン滝 Barron Fall の景観を楽しむことができる。


Skyrail から眺める Rain Forest

そんなスカイレールに乗った我々だったのだが、上から見下ろす Rain Forest は、それほどの「うっそう観」はなく、ちょっぴり期待はずれ。これは昨夜の飲み過ぎが災いしての、まったく主観的な感想なのでご勘弁いただきたい。


やっぱり暑い!
キュランダ村 Kuranda Village に到着ししばし散策したあと、Rainforestation Nature Park でアボリジニによる Pamagirri Dance Show やディジェリドゥーの演奏を楽しみ、ブーメラン投げなどを体験する。
結構楽しく勉強にもなるのだが、アメリカン・インデアンやアイヌの人々も同じようなことを強いられているのだと思うと、複雑な気持ちである。
レストランに移動し昼食。テーブルの上には冷たい水の入ったボトルが置いてある。また汗になると判っていながら、立て続けに3杯も飲んでしまった。
食後のマーケットや周辺の散策も、蒸し暑さと二日酔いで苦痛の一語に尽きる。


Didgeridoo の演奏

キュランダ鉄道 Kuranda Scenic Railway

19世紀末、当時 Herberton にあった錫鉱山と海岸地域との間の物資輸送は、雨季のたびに道路が寸断されて困難を極め、鉄道敷設の運動が高まっていた。
Port Douglas、Cairns そして後で加わった Geraldton がそれぞれ鉄道誘致同盟を結成して、激しい誘致合戦を繰り広げたが、1884年、Barron Valley 山峡を抜けて Cairns に出るルートが決定した。
延長75kmの鉄道敷設工事は、1886年3工区に分けて発注された。平地、平原を走る1工区、3工区はたいした問題もなく進められたが、24.5kmの第2工区は急斜面や密林を通るもので、当時敵意を持った先住民達もいて大変な難工事だった。
登りは海抜5.5mの Redlynch 付近から始まり、Myola で327mの頂上を迎える。そしてこの工区には、15のトンネル、93ヶ所の屈折部、そして峡谷や滝の上に架けられる建設困難なたくさんの橋があった。
近代的な土木建設機械のなかった当時のこと、工事は難航を極め、ダイナマイト、つるはし、スコップで、場所によってはまったくの素手で進められた.。掘削された岩盤や土砂の量は2.3百万立米にも達したという。
Barron Valley の岩盤は特に危険で、平均斜度45°表面は4.6mから7.6mの腐植土層で覆われていた。
このような難工事の末、ケアンズ~キュランダ間が1891年に竣工、開業した。奥地の錫鉱山も閉山してしまった現在、1日に2本、1時間45分で結び、観光客を運んでいる。


Barron River にかかる Stoney Creek
の鉄橋を渡るキュランダ鉄道の車窓から

雨季はまだ
午後2時、そんなキュランダ鉄道に乗車してケアンズに向かう。
列車は間もなく Barron Fall に停車。そろそろ雨季に入る……と思って期待して来たのだが、まだまだ1ヶ月以上早かった。滝にはほとんど水が流れていない。「白糸の滝」になってしまっている。



1、2月の雨季になれば、左の写真(これは借り物)のような景色が楽しめたはずだったのだが……。

オープンな車窓から眺める景色は素晴らしいが、吹き込んでくる風はじっとりと湿った熱風で、蒸し暑いことこの上ない。
キュランダ鉄道の工事の歴史を書いたパンフレットと沿線の地形を見比べ、上に書いたような難工事の様子を、「さもありなん」と一人肯きながら、ただただ感心するばかり。
3時15分 Fresh Water の駅に着き、待っていた迎えのバスに乗せられた。

日本語ツアーはもったいない
午後4時半過ぎに市内に戻ると、バスは案の定免税店の前に横付けになる。こちらはオーストラリアに着いたばかりで、買い物ツアーでもないので、早々に退散する。カフェで冷たいビールを引っ掛けてしばし汗を拭う。前回を通じて初めて日本語ガイドツアーに参加したが、たいした説明もなく、料金は英語のツアーに比べて2割がた高い。モッタイナイ!モッタイナイ!

2001年11月27日

ケアンズ2日目 飲みすぎた!

7時起床。トースト、牛乳、オレンジなど、昨日買った食材で朝食を済ませる。
街へ出て、Amex で両替。Esplanade などをぶらついたり、Woolworth を覗いたりして、Cairns Central のフード・コートでビーフをふんだんに挟んだサンドイッチとコーラの昼食。
またまたボトル・ショップに寄り、スコッチ・ウィスキーを1本買う($28)。
雨がポツポツと降ってきたので、14時半頃早めに宿に帰る。明日のキュランダ観光の天候が心配。
帰国前の12月23、24日の2泊を予約する。

水割りで一杯やりながら夕食をと考えているところへ同宿の日本人女性Tさん。誘って一緒に食事。
Tさんは愛知県K市在住の38歳の主婦。ご主人のすすめで「静養」を兼ねて1ヶ月の予定でケアンズに滞在している。
ご夫妻とも、新婚旅行で訪れたオーストラリアが気に入り、将来のロング・ステイのための下見も兼ね、英会話学校にも通っているとのこと。街の中の移動はレンタ・サイクルを借りて……という行動的な奥さんである。
と、この辺までは覚えているのだが、調子に乗ってウイスキーのボトルをほとんど空にしてしまったため、後の記憶はまったくない。
12時過ぎに部屋に帰った模様。


中庭のテーブルでTさんと。
袋に包んで隠してあるのがウィスキーのボトル。

2001年11月26日

ケアンズ1日目 やはり暑かった

ケアンズ到着
ほぼ定刻の4時30分、ケアンズ空港に到着。
今回は多少の食品を持っていたため、正直に declare の列に並ぶ。名古屋からの便の到着と重なったため、結構混んでいる。そのせいもあってか、税官吏は前回のように厳しいチェックはなく、持参した食品(醤油、ソーメン、チキン・ラーメン、味噌汁の素など)を口頭で申告しただけで、バッグを開けられることもなく済んでしまった。
長女手作りの自称「松前漬」もノー・チェック。こんな調子ならもっといろんなものを持って来るんだった・・・・・・と家内が残念がることしきり。
例によってターミナル・ビルの外に出てタバコを一服。今回は、日頃吸っている Merit Light を20箱持参した。いつまでもつか。

常宿 Inn The Tropics へ
6時過ぎ、タクシーでケアンズの常宿(?) Inn The Tropics へ。
オーナーが変わり、レセプションは早朝から開いている。レセプション付近が改装されきれいになっているが、あとは去年と変わっていない。久しぶりに帰ってきたという感じだ。シャワー、トイレ共用のツインで4泊$144をトラベラーズ・チェックで支払う。幸い部屋も開いており、早速旅装を解くことができた。
レセプションの女の子が部屋に案内しながら、キッチンはここ、ランドリーはここ、と説明を始めたが、「都合3度目だ」というと、笑いながら 'Welcome back!' 「お帰りなさい」と歓迎してくれた。
部屋は狭いが、4、5日を過ごすだけならこれで十分だ。ただしこちらの季節は夏。最高気温は35度近く、最低気温も25度を超えるとのこと。エアコンが3時間$1のコイン式なので、この出費が馬鹿にならないぞ。
写真でご覧のとおり、壁はコンクリート・ブロックの剥き出し。窓の下が東芝製の旧式のエアコン。左の小さな黒い箱がコイン式のタイマー。

ユニクロで買ったショート・パンツとティーシャツに着替え、近くのガソリン・スタンド併設のコンビニで朝食を調達。一休みする。

暑い!
10時過ぎ外出。日が上がってくるとさすがに暑い。ショート・パンツとティーシャツが正解だった。
宿を出てすぐの交差点で、あの歩行者信号のボタンを押した。そしてあのけたたましい音を聞いた。「キュン!ト、ト、ト、トッ!」・・・・・・懐かしい!(もしこの音をお聞きになりたければ、2000年のページの「こぼれ話」でどうぞ。)
季節の違いもあるが、確かに昨年と比べると日本人の姿は少ない気がする。ワーホリの皆さんも、涼しいシドニーやメルボルン辺りに移動してしまったのかも知れない。
Australian Tour Specialists(ATS) で、Eメールで予約してあったキュランダ・ツアーのチケットをピック・アップ。Trinity Wharf のバス・ターミナルでキロメーター・パスを受け取り、11月30日のブリスベン行きGX448の座席を予約する。
McCafferty's と Greyhound Pioneer の経営統合により窓口は一本化されている。
どんな形の経営統合なのか、いつ統合されたのかは聞かなかったが、窓口にはまだ両方の看板がかかっており、時刻表にも以前と同様、GXとMC両方の便名が書かれている。今回予約したバスは Greyhound の便だったが、実際に乗った車両は McCafferty's のものだった。

まずは1杯目のビールを

昼食は City Place のカフェ・テラスで Fish and Chips と XXXX GOLD 。
このビール、地元 Queensland 産のライトに近い飲みやすいビールで、今後1ヶ月間、大量にお世話になることになる。
久しぶりのケアンズの街をぶらつき、Woolworth でパン、ハム、ロースト・チキンなど食材を、ボトル・ショップでビールを仕入れる。前回買わなかった Vegemite も小さい奴を買ってみた。
夕食は当然中庭でビールをやりながら。1羽のロースト・チキンは2、3日もちそうだ。
Vegemite はトーストに塗って食べてみたが、うーん……、なんともいえない味。決してうまいものではない。

2001年11月25日

Qantas

ところで、Qantas って "Q" で始まるのに "u" が続かない唯一の単語だってご存知ですか?
例えば、Queen, quality, quick, quarter などのように、"Q" の次には必ず "u" が付くはずなのですが……。
何故なら、Qantas は "Queensland And Northern Territories Air Sevice" の頭文字を並べたものだからなのです。

成田出発

長女に1ヶ月間の愛犬「寧夢」の世話を託し、昼過ぎ次女の旦那の運転で成田へ向かう。
早めに出たせいもあってすべて一般道を走ったが、17時過ぎには無事到着。
チェックインを済ませた後、数年前の中国旅行の時に残っっていた円建て10000円のトラベラーズ・チェックをオーストラリア・ドルに両替。130ドルちょっとにしかならなかったが、ケアンズに着いてからの当座の出費はこれで十分だろう。
18時出国。日本人については出国カードは不要になっていて、パスポートとボーディング・パスだけを提出すればよい。手続きの簡素化は大歓迎だ。
例の事件以来機内持ちこみ品のセキュリティ・チェックが厳しくなっていることが予想されたので、キー・ホルダー、小銭などの金属製品はすべてトレイに曝け出してゲートをくぐったのだが、やはり引っかかってしまった。どうもジーパンのベルトの金具だったらしい。

定刻20時15分、テイク・オフ。いよいよ2度目のオーストラリアの旅へ出発だ。
機内は比較的空いている。後で聞いた話だが、テロ事件以降、オーストラリアを訪れる日本人も、昨年同期比で2割ほど減っているそうだ。



JL767便はカンタス航空 Qantas との共同運航。我々の近くには日本人のフライト・アテンダントは見当たらない。
1年半ぶりの英語は果たして通じるのか? まず試してみた言葉は、

Can I have one more glass of whisky?

そんなわけで、Scotch and water 2杯ずつ(本当はもっと飲みたかったのだが……)。機内食はまあまあだった。

I'd like to take a nap. Can I have a blanket?

時計を1時間進めて local time に合わせ、いつの間にか眠ってしまった。目覚めればそこはもう懐かしの(?)ケアンズだ。